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プロボクシング世界王者・村田諒太の「あいまい」論

先日、東京新聞でWBAミドル級チャンピオンの村田涼太さんと、世界的建築家の隈研吾さんの対談が記事になっていました。

そこで村田さんが語っていたのが、日本的文化や日本語における「あいまい」さのポジティブな捉え方でした。

固定観念や先入観を持たずに、自分自身にはない外部のいろいろなものを許容することが、これからの時代にはより求められるのではないかという主張でした。

一対一の殴り合い、倒すか倒されるかの究極の厳しい世界で闘う人の言葉であることが驚きでした。

昨年5月のミドル級王座決定戦をテレビで観たときに、村田さんの立ち姿は、なんだか武道的だなあと感じました(専門的なことはわからないのであくまで感覚です)。

すっと自然体で立ち、相手との距離感を瞬間・瞬間で絶妙に保っているように見えました。自分主導というよりも、相手の動きとの調和を図るようにして。

ちなみに、隈さんは2020年東京オリンピックに向けて新国立競技場をデザインしましたが、

1964年東京五輪のときはコンクリートと鉄による尖った芸術だったが、今回は木を主役にした日本的な優しくて柔らかい建物をイメージしたとのこと。

 

村田さんのように、個の強さを追い求めた人が、他者とのかかわりの中で自己を乗り越えていける可能性が、日本文化の特性を生かすことで見えてくるのではないかと私は感じています。

ただ、あくまでも個が立つことが前提ですね。日本の組織に多く存在する自分の弱さをあいまいさでごまかそうとする人々を後押しする話ではありません。

個々で立とうとする人が、若い層を中心に多く出てきているいまの日本では、「あいまい」さは、それをDNAに持つわれわれの強みになるのではないでしょうか。

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