藤野の仲間ヒデさん(榎本英剛)が、日本で初めて取り組んだトランジション・タウンの活動13年の歩みを振り返る本を出しました。
2006年にイギリスのちいさなまちトットネスを起点に世界中に広がっていった「しなやかで強い、持続可能なまちづくり」は、日本でも既に60箇所以上で実践されています。
ヒデさんは、書くのでも、話すのでも、本当にコトの本質を、シンプルにわかりやすく伝えられる人だなぁと感心するのですが、
今回も、トランジション・タウンのことを初めて知る人にもとても読みやすい本になっています。
持続可能なまちづくりに興味のある方は、ぜひお読みください。僕も「気候変動の藤野学」のことで、ちょっと登場させていただいてます(P.235〜238)。
本書の中身については、さまざまな方々が書かれているので、僕はちょっと視点を変え、ヒデ本を読んで、自分の中に改めて立ち上がってきた論点について書こうと思います。
1.活動を継続する形態について
本書の最後の方に「トランジション藤野、解散?」という気になる見出しがあります。
流れの中で出てきたテーマでしたが、ヒデさんも書いているとおり「とても健全かつ建設的な議論」だったと僕も思います。
トランジションタウンの活動をきっかけに、さまざまなプロジェクトや団体が次々に立ち上がる中で、改めてトランジション藤野の存在意義を問うことになったのです。
この活動は、地域における文化をつくる活動であり、ある意味「土壌」のようなものなのだから、土壌が整った段階で、一定の役割は果たし終えたと考えるようにもなったとヒデさんは語っています。
そもそも誰がメンバーなのかの境界線もきわめてあいまいにしているのが特徴だったので、解散って何を解散するのということもありました。
一方で、コミュニティ=共同体としての性格を有し、安心して居られる場とか、信頼できる仲間たちとの関係性ということからすると、あたたかな「器」としての意味合いも小さくはないのだと思います。
このあたりをどう考えるかは終わりのないテーマかもしれません。
2.貨幣経済との接点について
僕自身は、移住直後に折良く立ち上がった「仕事と経済」というワーキンググループに一番参加の度合いが高かったのですが、
世の中の大注目を集め続けている地域通貨「よろず」と比べると、あまりカタチとして実ったものは多くないかも。
このワーキンググループの立ち上げ当初に大いに議論したことなんですが、経済は、自給経済/贈与経済/貨幣経済の大きく三つに分けられ、それぞれはわかりやすく言えば「暮らし」「務め」「稼ぎ」になると学びました。
「よろづ」はいわゆる贈与経済的な存在であり、とても位置付けがわかりやすい。
が、「仕事と経済」では三つの要素を統合できないかという方向で検討していたと認識しています。
つまり、そこには現代における経済の圧倒的主流である貨幣経済が含まれており、これをどう扱うかが難儀なんですよね。
僕も移住直後の勢い余って(笑)、県の指定管理の施設を、市民グループで組織した団体で入札して取りに行こうと真剣に考え、動いたりしましたが、いろいろあって頓挫したり、
コミュニティカフェの立ち上げ構想にも加わったりしましたが、これも残念ながら力にはなれませんでした。
地域における「稼ぎ」の壁ってなかなか大きいなぁと感じています。もちろん、諦めたわけではなく、さまざまなプロジェクトにかかわる中で、新しいしくみと実践のカタチを模索中です。
3.個とシステムの中間としての「まち」
これもヒデさんが「はじめに」で書いていることですが、個人でもなく、世界という大きな単位でもなく、その中間に位置する「まち」(地域コミュニティ)という中間的な存在の意義は大きいと、僕も感じています。
例えば、気候変動の問題、貨幣経済の行き過ぎのこと、政治の機能不全などなどから、やっぱり「システム・チェンジ」がいよいよ必要であるということはよく言われますね。
でも「システム」ってあまりに大きすぎてとらえようがない。
しかし「まち」なら実感できる部分が多い。藤野に移住してきて一番よかったことのひとつが、小さな実践が世の中の変容につながる実感を持てたことです。
かつて、社会の問題に関心を持ちはじめたときに、さまざまな学びや話し合いの場に参加しました。そこで問題意識が共有できる仲間に出会えるのだけど、何をどうはじめていいのかわからず、ストレスがたまっていくのも感じていました。
いまは、この小さなまちで何ができるのか、基本的にはそこに集中したいと思っています。
「部分」の中に「全体」が宿るとも言われます。僕はまちレベル(部分)で、世界の変容をたのしむことにしました。
以上、ついに出たヒデさんのトランジション本をきっかけに改めて考えたことをつらつら書いてみました^ ^