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「めんどくさいカフェ」の想い

新聞で、とてもおもしろい、自律分散にもつながる記事を発見しました。

目黒区周辺で月2回ほど出現する「めんどくさいカフェ」

自分のために自分でコーヒーをいれなくてはならない空間。焙煎からドリップまでの全ての工程を客自身が担うそう。

店側はやり方を聞けば教えてくれるが、基本は見守るだけ。手間をかけて自分でいれるコーヒーはそれぞれに違った味になり、

失敗だらけだけれど、みな出来上がると歓声を上げ口々に「おいしい」と言うそうです。

店主の柴田靖子さんがここに込めた想いは・・・

誰かのために“標準的”であろうとすることへの違和感

彼女の娘さんは、生まれつき心身に重い障害があり、特別支援学級や介護施設では標準的であることを善として、そこに近づける支援ばかりであるようです。

誰もがでこぼこを抱え、標準的な人間なんていないと彼女は言います。

僕がとんがりチーム®︎研究所を立ち上げたのも、すべての人には、とんがった想いや持ち味があり、それを生かし合えるチームをひとつでも多くつくり、それが当たり前の社会にしたいから。

「でこぼこ」と「とんがり」はかなり似た文脈だと感じます。

さて、めんどくさいカフェの話に戻りますと、一杯ずつ異なる「不安定さ」を楽しむというコンセプトからは

自然に「誰かのためにいれるのは反則」というルールが生まれたそうです。

「FOR YOU=報 YOU(あなたに報いる)が人を不幸にする」つまり、誰かが望む姿になろうとすることが本来の自分らしさをゆがめ、生きづらさを生んでしまうという考え方。

とても共感します。

一方、企業組織の場合、社員は雇用されているのだから、組織のため、顧客のためから考えるべきでしょうか?

否定はしません。

が、自分らしさを発揮することなく、求められる仕事を黙々とこなすより、仕事の中に、自分らしさを生かせる側面を見つけようとする方がより創造的な価値に近づけるのではと思うのですが。

最近の僕の支援は、そんな方向に思い切り振り切ったものになってきています。

僕は、それを仕事(仕えること)ではなく“為事”(自ら為すこと)と呼んでます。

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