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「磯庵」の創造主〜磯和武明という男(1)

とんがり研の宝物スペースとなった「磯庵」、さまざまな方々に大好評です。

「磯庵」の命名には、3つの由来があります(笑)。

1.磯和武明の素晴らしい仕事に敬意を込めて。

まぁ、これは大本命の理由。

2.相模湖のほとりにあるため。

実は、「磯」とは海だけでなく湖の波打ち際のこともいうそう。地理的なところからの命名ですね。

3.磯和くんの妻・磯和安那(いそわあんな)の「略称」。

これは、あんなちゃんに言われて初めて気づいた(≧∀≦)

左:磯和くん、右:あんなちゃん

さて、なぜ我が家のはなれのリノベを磯和くんにお願いすることになったのか?

それは、磯和くんとあんなちゃんの結婚がきっかけでした。

僕とパートナーのYUKIは、お二人それぞれに深いご縁があり、2019年秋の結婚式にも呼んでもらったのですが、

僕の左目の黄斑円孔が直前に再発してしまい、残念なことに出席が叶いませんでした。

で、回復したあとに、個人的にお二人を自宅に招待して、ささやかなパーティをやらせてもらったのです。

そのときに、はなれの話になって「悲願のリノベーションをやりたいんだけど、自分ではどうすればよいかわからないしねー」って言ったら

「僕、やれます。やりますよ!」と。

彼が飲食店の内装を手がけたり、古民家のリノベプロジェクトなどで全国で修行を積んでいたのは知っていたので、

「じゃ、お願い」とその場のノリで決まりました。

もちろん期待はしていたけど、正直、ここまでぶっ飛びの素晴らしい空間ができることは想像していませんでした。

(時間はさらに遡って・・・)

磯和くんとの出会いは、僕らが藤野に移住した直後でした。

サンヒルズという藤野のアート工房にいつもいた彼は、長身で、イケメンで、イケボ(低音Voice)で、とても器用で、いつも大きな夢を語り、そして、いつもお腹をすかせていました(笑)。

差し入れしたおやつをむさぼるように食べる姿が忘れられません。

僕が最初に彼に依頼した仕事は、テニスの帆布ラケットバッグでした。2014年の夏のこと。

いまの彼の作品はもっともっと洗練されてますが、これも荒削りでワイルドな趣があって好きです。

当時のfacebookに僕はこんなコメントを残しています。

「これは、市販のラケットバックにはない細かな機能を、僕のリクエストにこたえて実現してくれてます。

たとえば、内側の小物入れだったり(サイズや個数含め)、ラケットがバック内で動かないちょっとした工夫だったり。

この作品の僕にとっての価値と経済状態を考えて、いまの精いっぱいを、“寸志”としてお渡ししました。これは対価ではありません。

財布からいくらって出すんじゃなくて、小さな袋に寸志と書いて贈りました。なんとなくそうしたい気持ちになったからです」

この人は、なにか大きなことをやってくれるという予感があったんだと思います。

〜(その2)に続く

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