最近の僕は「うたを生きる」感覚に満ち満ちています。
7月最初の週末は、人生初の独唱の舞台に立ちました。
その翌週末には、長野県松本市で開かれた全日本男声合唱フェスティバルに出演しました(昭和63年に卒団した東西4大学=慶應、同志社、関西学院、早稲田の同期たちと)。
僕は大学時代、早稲田大学グリークラブという創部1907年の伝統ある男声合唱団に所属していました。
が、1988年に卒団以来、ほぼうたの世界から遠ざかっていました。
そして、3年半前に、グリーの3年後輩の中村哲郎くんが誘ってくれたのが、混声合唱団傘下の男声合唱プロジェクトでした。
正規の合唱団ではなく、外部からも参加が可能な月1回の集まり。実質的に30数年ぶりの再開でしたが、それで目覚めてしまったんです。
頑ななまでに閉ざされていた扉がなぜ開け放たれてしまったのか?それを自分なりに解き明かしてみようと思います。
1)ひとつ目は「やらなくちゃ」から「やりたい」へのシフトです!
大学時代は、おそらく年間千時間以上、ほぼ休みなく練習していました。
がっちりスケジュール化された年間の演奏会スケジュールがあってクオリティ高い演奏をするために次から次にこなしていくイメージ。
いつの間にか「仕事」的な感覚にもなっており、卒団するときは、なんとも言い難い開放感がありました。要はあんまり楽しめてなかったのですね。
でも、いまは短時間ながら、歌う喜びでいっぱいです。僕は歌うことが好きだったんだと改めて気づきました。「やりたい」の力は偉大ですね!
2)ふたつ目は、独唱という新たなチャレンジです。
再開した合唱を指導くださっているのは、ソプラノ歌手の柴山晴美先生。うたの魅力に取りつかれた僕は、1年前より彼女から独唱(声楽)の個人レッスンも受けることになりました。
生まれて初めての経験ですが、これが同じうたながらむっちゃ新鮮なんです。
合唱は周囲との響奏によって成り立ちつものですが、独唱はなにがあっても一人で歌い切らなければなりません。
これを「成人発達理論」に照らし合わせて考えてみるとおもしろいです。
環境順応型知性では、周囲からどのように見られどんな役割を期待されるかが重要になります。
合唱でもこの要素は求められるのですがそれだけでは合唱のレベルは上がりません。
自己主導型知性では、自分自身の価値基準を確立して判断や選択ができることが求められます。
歌い手として個のレベルをしっかりと磨いていくのに、独唱はとてもいい感じ。
そして、自己変容型知性では、自分自身の基準を絶対とせず、他者の考えも受け容れ統合していくことになります。
独唱で磨いた力を、再び合唱に還元していくことは可能なはず。こうして、合唱と独唱の間を行き来することの未知の可能性も感じています。
3)三つ目が、「伴走」による高いモチベーションの持続です。
前述のとおり、僕は、合唱も独唱も、柴山晴美先生に教わっています。
彼女は、僕(ら)がそもそも持っている声の特性や歌の志向性をとても尊重し、それに寄り添うような絶妙の支援をしてくださいます。
まさにステキな「伴走」によって、向上心高く走り続けることができるというわけです。
このようなありがたい環境の中で、これからもうたを生きていこうと思っています。