いま、私の左眼の視界は、ムンクの『叫び』のようにぐにゃぐにゃで、これが元に戻ることはもうありません。が、視力があるということが、素晴らしくありがたいという感謝の気持ちいっぱいで日々生きています。
2017年の5月GW中、mori-coyaの庭に念願の畑を耕そうとしている最中に、左眼が網膜剥離になりました。
そのまま三鷹の杏林大学病院のアイセンターへ入院して、即手術になりました。私は小さいときから視力が弱く、強度近視状態でここまで来ました。それが52歳で、老化によって硝子体が縮んでいく現象に伴って、網膜も一緒に引っ張られての発症でした。
そんなに珍しい病気ではありませんが、問題はそれからでした。
通常は、一度手術すれば90数パーセントの人はそれでよくなるらしいのです。ところが、私の場合は、症状が複雑であったようで、その後も再剥離を繰り返し、6月そして10月には二度手術になりました。これで4回。
さすがにもう大丈夫だろうと思っていたら、今年になって、網膜の中心部にある黄斑に穴があく黄斑円孔になり、2018年3月末に5度目の手術。
手術自体は局所麻酔もされ、1〜2時間程度で終わるので、そんなに苦痛はないのです。ところが、網膜の修復が安定するように眼球内に注入されるガスがしっかり作用するために、術後2、3週間は基本的に24時間うつ伏せ姿勢を安静に維持しなくてはなりません。
これが苦痛極まりない。しかも、手術のたびに最低1ヶ月は仕事をすることは許されず、療養しなくてはなりません。
つまり、2017年5月から2018年4月までの1年間、網膜剥離の手術・入院と療養を繰り返し、まともに仕事することができませんでした。先行きが見通せない不安や恐怖で何度も泣きました。
とんがり研を立ち上げる一番のきっかけになったのは、この病の体験でした。
療養中、ずっと「どう生きるべきか」を考えていました。30歳のときに、働きすぎて急性の肝機能障害となり1ヶ月療養を余儀なくなれたとき以来、大きな病気はしたことがありませんでした。
しかし、この歳になって命にかぎりがあることを強く感じました(今回の病は命にかかわるものではなかったのですが、視力を失うかもしれないというインパクトの大きさが、死を想わせたといえましょうか)。
5回目の手術は、その効果が確認されず、一旦は左眼の視力を失うことを覚悟しました。
下の文章は、2018年4月1日、そのときの覚悟を、i-phoneに残した自分を奮い立たせるメモです(奇しくも、1988年4月1日に新社会人としてスタートしてからちょうど30年の日でした)。
「この命、最後に何に燃やそうぞ
分散自律社会を、チームから創る仕事に、すべて捧げる。
一人ひとりの”とんがり”が発露する社会。
それ以外の仕事は、全部辞める。プロの仕事だけ」