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「死」について優しくのんびり語り合うデスカフェ

今年最後のblogは「デスカフェ」という素敵な場を体験したので、そのお話を。

僕は「ファンベース」のマーケティングで有名なさとなお(佐藤尚之)さんが主宰する50歳以上限定のGood Eldersというコミュニテイに入っています。

その中の企画として12/27の夜に実施されたのがデスカフェ(オンライン)でした。

死を考えることは生を考えることでもあるわけですが、参加者が、死について優しくのんびり思うままに語り合う場でした。

カフェにはルールがあり、他者を非難したりアドバイスは不要でファシリテーターが平等に時間をすごせるようにガイドします。

今年5月に、僕の人生とコンサルの師匠であり、とんがり研のアドバイザーを務めてくださっていたK(青木孝一)先生ががんのため他界されました。

葬式はするな、骨は拾うな、お墓も仏壇もつくるなと言って旅立たれました。

9月には、安定していた僕の左眼の黄斑円孔が4年ぶりに再発。さらに、同じ月に家族のがんが見つかりました。

今年の後半は、仕事よりもいのちと向き合うことを余儀なくされましたので、カフェではそのようなことから何を感じているかなどをありのままにお話しました。

全部で10名集まったその場では、壮絶な体験を話される方もいました。

でも、そこに流れているのは、終始お互いの人生を尊重し合うあたたかな空気でした。

特に印象に残ったのは、参加者のひとりの親友だった医師が脳腫瘍で亡くなる前に語られた言葉でした。

「僕がこの世界からいなくなることで、どこかで誰かと誰かが出会う。

この世界から僕の席がなくなることで、誰かがそこに座り、誰かが幸せになる。

僕は、“ずっと死に続けること”で、これからも多くの人生に長く影響を与え続ける。

だから、死ぬのは寂しくない。僕たちは大きなつながりの一部だから」

なんと壮大で深淵な死生観なのでしょう。

カフェのファシリテーターを務めた方の言葉もじんわりきます。

「光と影のように、悲しみの話をしていると光が浮き立ってきたりもする。自らそこで、何を紡いだり、粒をひろったりは自由。

答えはないけれど、自己の物語を整理するには、他者とかかわったりできる安全な場がいいなと思う」

僕たちは、大きなつながりの中で、自分の物語りを生きているのだと感じられるとすごく安心します。

今年一年も大変お世話になり、ありがとうございました。

どうぞよいお年をお迎えください。

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