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「バーナード組織論への違和感」の違和感

前々回に、古典的なバーナードの組織論と僕の考える組織開発の共通点を取り上げました。

そこに関連するテーマで面白い論文を見つけました。

石塚浩先生という経営学の先生の「バーナード組織論への違和感」です。

https://www.bunkyo.ac.jp/faculty/gs-info/wp-content/uploads/200702-1.pdf

結論から言えば、すごくまっとうな論点を訴えられています。

バーナードが「組織」と定義したものを、現代における組織に適用するには無理があるのではないか?

バーナードは主著『経営者の役割』でこんな例を引いています。

道路にひとりでは動かせない石があり、通行の邪魔になっている。通りがかりの人たちが力を合わせてそれをどかそうとするとき

そこに「組織」が出現する。石がどかされると、そこで組織は解消されるという考え方です。

石塚先生は、この考えに対して2つの疑問を呈しています。

ひとつは、組織は活動の相互作用のみに限定されず団体維持のための社会的関係として構造化された仕組みであることが抜けている。

ふたつめは、組織の構成メンバーが限定されず無限に拡大すること。

極めてまっとうなご指摘だと思いますが、このご指摘部分が、実は組織の負の側面を生み出しているというのが僕の考えです。

組織は、本来、ひとりではやれないことを実現できる「協働システム」として発明されたもののはず。

ところが、いま、多くの人が自分の想いや持ち味にフタをしてしまい、組織は私らしさを発露しないですむ「隠れ蓑」になっていないか?

そして、団体維持のために固定的な組織の枠組みに固執する。多くの組織現場に接して、 そう感じています。

だからこそ、バーナードの主張した組織成立の3条件:目的、協働意欲、コミュニケーションが大事になってくるはず。

※このあたりは、前々回のメルマガでお伝えしました。

石塚先生は「組織の3要素を備えていない不完全な組織のほうが当然である」とおっしゃいますが

僕は、そこに甘んじるような組織は、いっそ解体された方がメンバーにとっても、組織にとっても、社会にとってもいいと思っています。

一人ひとりの想いや持ち味が解き放たれ、重なり合って、いままでになかった価値が創造されること。

組織の存在意義は、そのようなプロセスを支えることにこそあると僕は考えますが、みなさんはいかがでしょうか?

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