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マージナルを生きるということ

マージナル(marginal)とは周辺や境界にあるさま。また、限界であるさま。

社会心理学者クルト・レヴィンは、マージナルを生きる人を“マージナルマン”と呼び

「2つの集団の境界上に立ち止まり、両方の集団に関係していながら、実はどちらにも所属していない人」

と定義しました(もともとはロバート・パークが提唱した概念のようです)。周辺人、辺境人とも訳されています。

レヴィンは、主に青年期の心理的特徴を示す言葉として使いこの状態に留まることの危険を指摘していました。

しかし、僕自身は、先の見通せないVUCAな時代には、このマージナル性こそが大事な役割を果たすのではないかと考えています。

なぜならば、二つの集団や文化に身をおけば、両者の違いのはざまにあって、内的な矛盾や葛藤が起こりますが、その緊張を突き抜ける解がイノベーションになると考えるからです。

例えば、僕自身は、企業ビジネスの世界と、先進的と言われる地域コミュニティに身を置いて10年になります。

機能体か共同体か? 結果かプロセスか? 形式知か暗黙知か? 等々、企業とコミュニティでは、重点の置き方がまるで異なります。

でも、これまで別個のメカニズムで動いていた二つの世界がいま、急速に混じり合ってきているようにも感じています。

企業ビジネスは、行き過ぎた資本主義経済の先を模索していますし、地域コミュニティは、人口減少による過疎化への解を求めていたり。

実は、真逆に見えていた相手側の世界に解決のヒントが潜んでいたりするのです。

この両方の世界に「どっちつかず」の状態で身を置いていると、それぞれの特性がよりクリアに見えるように思います。

僕が、コンサルタントとして企業向け支援でここ数年多用しているのが、ワークショップの中で各自が設定した従来の延長線上にない目標の実現に他メンバーが貢献する具体的プランを贈り合うもの。

忙しいはずのビジネスパーソンたちがそれをするときの嬉々とした表情はいつも印象的です。

地域コミュニティでは当たり前の贈与経済的なかかわりです!

「どっちつかず」というのは、明確なアイデンティティが持ちづらく、モヤモヤや悩みは尽きないのですけども、マージナルを生きることは、僕の使命ではないかとも考えています。

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