先日、藤野の我が家 離れの磯庵に鹿嶋康由さんと小森谷浩志さんをお招きし対話しました。
同学年の三人が還暦を迎える節目に「還暦×3=180歳」と銘打ち、ライブ配信しながら人生を振り返る貴重な時間となりました。
特に印象的だったのは、小森谷さんが語ってくれたオットー・シャマーの『出現する未来』の再読から得た気づきでした。
シャマーが言及する「大文字のJob」と「小文字のjob」という概念を通して、仕事の本質について深く考え、語り合う機会になりました。
「小文字のjob」とは日々の糧を得るための仕事や役割のこと。多くの人がこの「job」に縛られている現状があるのではないか。
一方「大文字のJob」は自分の内なる使命や社会への貢献など、より本質的な目的と結びついた仕事を意味します。
僕の「シゴトの三段活用」で言えば、”志事”にあたるもの。
この「小文字のjob」から意識変容によって、真の「Job」を見つけるにはどうすればいいのか。
実は、この対話の後、小森谷さんからいただいた『神秘の夜の旅〜越知保夫とその時代』(若松英輔著)が、この考察をさらに深める視点を与えてくれました。
越知保夫は『小林秀雄論』で「明日働かんがためにのみ今日食べている人々」、つまり民衆の日常に深い愛情を注いでいます。
一見すると日々の生計のための労働を描写しているように見えますが、そこには、むしろ敬意や共感が込められていると感じました。
人々の日常の営みを機械的労働ではなく、人間の尊厳ある生として捉え、「小文字のjob」の中に「大文字のJob」の意味を見出しているように思えます。
「人間の統一性を回復するものは労働をおいて他にない」「思想も信仰も労働なくしては空しい」
越知は「job」の中にすでに「Job」が存在すると示唆していたのではないでしょうか。
越知保夫は、生前、一冊の本も遺さなかった伝説の批評家だそうです。
若松さんの本の帯には「昼の光の届かない深みに広がる魂の風景」と書いてあります。
そのような世界を注視できるオトナになりたいものです。