オープンダイアローグをご存知でしょうか。
フィンランドで生まれたこのアプローチは、もともと統合失調症などの重い精神疾患の方への支援として生まれた方法で、
当事者・家族・医療者らが対等に話し合うことを目的にしていました。
そのエッセンスが、現在は学校や職場、地域コミュニティにも応用され始めています。
僕自身、以前からこの対話実践に関心を持っていました。
精神科医の森川すいめいさんが2019年に僕の暮らす藤野を訪れ、オープンダイアローグについて語ってくださったときも、その奥深い世界に驚かされました。
昨年末、友人の吉田なおみさんと久しぶりに話す機会があり、彼女が森川さんから対話の方法を学んでいると知りました。
そこで「ぜひ自分も体験したい」とお願いし、先日、彼女とその仲間の方、僕の3人でオープンダイアローグのセッションを体験することになったのです。
「話したいことを自由に」と促された僕は、これまで対話の場で語ってきた少年時代の記憶を持ち出しました。
選択の余地がまったくなく、親の言うとおりに生きるしかなかった少年期。できなければ暴力で強制され、自分の意思を完全に封じられた暗黒の時間。
しかし、その経験があったからこそ、心の奥に「自由」への強烈な希求が芽生え、それが今の僕の人生を貫くパーパスになっているといまは考えています。
今回は、そんな少年時代とは180度異なる現在の生き方が、どこでどのように培われたのかを知りたいというテーマで臨みました。
振り返ると、親の干渉が急になくなった大学時代は、友人たちと自由を謳歌した時期で、束縛から解き放たれる「〜からの自由」を手に入れたトランジション期でした。
そして社会に出てからは、転職するたびに素晴らしい上司との出会いに恵まれ、自律的に考え行動する喜び、つまり「〜への自由」を知りました。
仕事を通じて成長段階を引き上げてくれる人々に巡り合えたことを、このセッションで初めて認識できたのです。
自分でもびっくりしました。
わずか90分の対話で、これまで自覚できていなかったことがなぜ見えてきたのでしょうか。
これはあくまで仮説ですが、聴き手である二人の「リフレクティング」の作用が大きかったと感じています。
彼らは僕の話を評価するのではなく、自分の中での反応や感情を丁寧に言葉にして返してくれました。
その繰り返しの中で、僕は自分の内側の声に耳を澄ませ、新しい意味づけを見つけることができたのではないかと。
このリフレクティングには、ロシアの哲学者バフチンが説いたポリフォニーの思想―複数の声を同時に存在させ、違いを無理に統一しない姿勢―が織り込まれているそうで、
これまでピンとこなかったその概念の輪郭が、今回の体験で初めてひらかれた感覚もあります。
オープンダイアローグは、専門家でなくても体験できる場が少しずつ増えているようです。
もしこの記事を読んで興味を持たれた方がいたら、一度体験してみてもいいかもしれません。ご希望であれば、僕の方でつなぐお手伝いをすることも可能です。
自分の内側と他者の声を尊重しながら自由に語り合う時間は、貴重な学びと解放をもたらしてくれるはずです。
