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“禅的マネジメントschool”はじめます(その2)

前回に引き続き、6月末からスタートする小森谷浩志さんの著作『禅的マネジメント』を体感、実践するオンライン講座に絡めて、禅的な学びが、現実世界にどう生きそうかという話をしていきます。

今回は「十牛図」がテーマです。

これは、自分自身に目覚めるにはどうすればいいのかをわかりやすく解き明かすため約900年前に生まれた10の絵コマで、牛を見失った牧人が牛を探す過程を表現したもの。

実は、この牛が象徴しているものが「本来の自己」なんです。

では順番に見ていきましょう!

<第一図:尋牛(探す)>

牧人は見失った牛を探しに出かけます。ここでは、見失ったという意識が重要です。多くの場合、見失ったことにも気づかないので。

別の言葉で言えば「このままではいけない」という問題意識が、新たな可能性を開花させるということです。

<第二図:見跡(分かる)>

牧人は牛の足跡を見つけます。足跡とは仏法のことで、それを学び、頭で理解した状態です。あくまでも知識としての理解という段階。

<第三図:見牛(出会う)>

とうとう実際の牛を見つけます。つまり、いま・ここへの没入で頭だけでなく体で覚えるレベルへ。

<第四図:得牛(捕らえる)>

苦悩と苦闘の末、その牛を捕まえることに成功します。ただし、牧人と牛をつなぐ手綱がなければすぐに逃げ出してしまう緊張関係にあります。

<第五図:牧牛(馴らす)>

牛を飼い馴らすことで、牛はついてくるように。でも、手綱を外せば、またどこかに行ってしまいそうな不安も。

<第六図:騎牛帰家(一体化する)>

牧人は牛にまたがって、笛を吹きながら家に帰ります。両者が共鳴し、響きあっている状態になります。

<第七図:忘牛存人(手放す)>

牛は忘れさられ、牧人は故郷でまどろみます。牛に対する執着を手放し牛と自分を分ける必要もなくなったレベル。

<第八図:人牛倶忘(無になる)>

牛のみならず、人すらも忘れさられます。自己へのこだわりを手放し切るからこその無の可能性。

<第九図:返本還源(然る)>

本に返り、源に還ります。人間の計らいを超えた自ずから然る境地へ。

<第十図:入鄽垂手(行ずる)>

俗世間に入って、迷える人たちに手を差し伸べます。人々と暮らしをともにし、かかわり衆生に尽くすことへ。

というような十の境地は、明確に達成基準をクリアしていくような成功物語と違いいくぶんもやもやする世界にも見えるでしょう。

高度成長や安定成長の時代には見向きもされなかったのではないかと思いますが、この答えなきVUCAな時代には学べるものが多いかもと感じませんか?

僕自身のキャリアと重ねてみても・・・

アメリカ企業でひたすらより上の役割や責任や報酬を求めていた時期もあり

突然魔がさして、現場発の組織風土変革支援のコンサルに転じ

いまは、ひとり起業家として悠々自適にやりたいことだけ楽しむ世界へ。

少しずつ自分へのこだわりを手放せているかな。

さて、次回はもう1回だけ場をいただき、東洋の叡智「十牛図」に、西洋の「成人発達理論」を掛け合わせて、盟友の小森谷浩志さんが編み出した

ZEN MANAGEMENT サイクルの骨子をご紹介し、いのちが喜ぶ生き方、はたらき方に近づく道をお示しします。

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