今回は、久しぶりに理論編でーす。
とんがり研の核になる「創発」という概念についてあらためて整理してみたいと思います。
僕が『創発ワークショップ』を出版した2015年頃、「創発」という言葉を知っている人は講演会場でも100人に2、3人でした。
それが今では、ビジネスの現場でも、それなりに使われる言葉になってきています。
創発とは「Emergence(発現、出現)を語源としており、物理学や 生物学等で使用されている用語ですが、
最近では組織論等でも使用され、個人個人の能力や発想を組み合わせる取組により、ある一定の要件に基づいた予測や意図を超えるイノベーションを誘発する様」
ここでよく出てくる疑問があります。
「ビジネスの世界で、意図しないことなどあり得るのか?」
企業活動は目的志向です。戦略も施策も、意図的に設計される。だから「意図的ではない価値創造」と言われると違和感が生まれる。
しかし僕は、この違和感を当初から持っていませんでした。
なぜなら、組織を“機械”ではなく“生き物”として扱ってきたからです。
生き物は、設計図どおりには動きません。働きかければ必ず同じ反応が返るわけでもない。
しかし放置すればよいわけでもない。
関わりのなかで、予想外の変化が立ち上がる。この「立ち上がる」という感覚を、うまく捉える概念があります。
それが「中動態」です。
村上春樹はこう語ります。「本を書き始めるとき、僕の頭の中には何のプランもありません。ただ物語がやってくるのを待ち受けているだけです」
「物語が何を求めているのかを聴き取るのが僕の仕事です」
これは受動ではありません。かといって、完全な能動でもない。
中動態とは、主体が行為を外部に及ぼす態でも、外から作用を受ける態でもない。
主体が出来事の内部に位置し、出来事がその人を“座”として生じるあり方です。
近代の思考は能動/受動の枠組みを強め、「誰がやったのか」「誰の成果か」という構図を前提にしてきました。
しかし創発をこの枠組みで捉えると、必ず「誰が生み出したのか」という所有の問題に回収されてしまう。
けれども創発の本質はそこにはありません。
創発とは、「意図がない」ことではない。「意図で支配できない」ことです。僕たちは創発そのものを作ることはできません。
できるのは、相互作用が起きる条件を整えることだけです。
違いが消されず、問いが閉じられることなく、拙速に収束しない場を保つこと。その結果として、あとから振り返ったとき、「あれは生じていた」としか言いようのないコトが立ち上がる。
それは「俺が生み出した成果」ではなく、「私たちを通して生じたコト」です。
創発は偶然ではない。しかし作為でもない。
創発は、能動でも受動でもなく、中動態的にしか理解できない。
そして、生き物としての組織を扱うなら、この前提から出発するしかないのだと、僕は思っています。
