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あこがれのモモに1ミリでも近づきたい

ミヒャエル・エンデの名作『モモ』はご存知かと思います。

その主人公である小さな女の子モモは、僕の永遠の憧れです。

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした」

「モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。

モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです」

「するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです」

先日、こんなことがありました。

最近は、組織開発やライフシフト関連で、新しい事業やプログラムの立上げにかかわることがとても多いので、試作品を体験いただく場も増えてます。

そのひとつとして、リーダーの方々が自分の内側から湧き上がってくる欲求にもとづいて、組織の現状をみたときに

「くすぶり」を感じたことをテーブルの上にあげていただき、それを材料に対話していくプログラムを試作してみました。

「くすぶり」を引き出すのに、呼び水として使ったのが、野中郁次郎先生の「共通善」についての問いでした。

いわゆる美しい徳とか、道にかなった行いとかのことですね。

なので、問いも「業績達成よりもビジョンの実現を優先していますか」とか「常に何が善かという判断基準を持っていますか」とか。

日本企業が直面する閉塞感を打ち破るにはそのくらい大きな問い立てから入ることが必要ではないかと考えたからです。

で、それをある会社のリーダー層に答えていただいたところ、

「そもそも、この問いそのものにくすぶりを感じる」「共通善なんて幻想だ」といったような声が率直に出されました。

あまり想像していなかった反応だったのですが、一方で、すごく興味が湧いてきました。

なぜ、そう思うのかをひたすら聴かせていただくことにしました。ずっと聴いていて、なんとなくみえてきたように感じたのは、

共通善なんて微塵も入り込む余地のない組織の現状でした。

そこからしか始めようのないリアル。あと2回の対話セッションの中で、どこにいくんだろう?

ただ、聴いていきたいと思います。

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